自分は以前、意思決定というのは「腹をくくる」「清水の舞台から飛び降りる」のように不可逆的かつ一定のダメージを覚悟する・リスクを負う行為だと思っていました。そして意思決定が関わる戦略が長期的であればあるほど、情報を集めても考えを深めても不確実性を下げることはほぼできませんから、意思決定の難度も高くなっていきます。この長期的な意思決定の代表例が企業の経営戦略でありスタートアップの企業理念なので、自分は企業経営に対して強い苦手意識を持っています。不可逆なリスクを負うには覚悟が必要で、その覚悟はどっから持ってくるんだ?というのが未解決問題だったわけです。
いやーやはり経営者ってすごいな。自分にはできんわ。
— 医療情報セキュリティとエンジニアリングのひと (@Kengo_TODA) 2022年7月6日
ただ最近、不可逆的にリスクを取りに行くだけが経営ではないというか、もうちょっと違う解釈への投影もできるんだなと思ったので、ちょっと書いておきます。
ビジョンは未来予測じゃない
我々はどのような企業になる、弊社の製品はどのような課題を解決する……といったビジョンの策定と発信はマネジメントの大きな仕事です。個人的には創業経営者の仕事はほとんどこれだと思っています。ビジョンに共感する人材を集めて目標をつっこむとアウトカムが生産される、それがスタートアップというやつでしょう。
このビジョンはもちろん想像可能・達成可能なものである必要はありますが、別にそれは「腹をくくる」ようなものである必要はない……というと語弊があるんですよね。当人は腹をくくって強いリーダーシップを発揮するべきですし、考え抜かれたメッセージと行動を通じて課題を実際に個人として組織として解決しなければなりませんので、腹はくくるべきです。投資家が投資先を選ぶうえで必ず見るものとして創業経営者の人柄が挙げられるようですが、それには腹をくくれるか、ビジョンを誰よりも信じて実行に突っ込める人物かを見ている側面は間違いなくあるでしょう。
自分が言いたいのは、この意思決定を100%実現可能だと信じることは重要だが、この意思決定した内容が100%実現されることはそんなに問題ではないということです。自分はここを混同していたのですが、世の中を見るとこうしたビジョンを途中で変えたり、実現する前に退場したりという結果に至った経営は多数あります。 わかりやすいところではGoogleのビジョンでは2000年代に one-click という単語を使っていましたが、今は使っていません。実際音声入力やマルチタッチスクリーンが当たり前になってきた現在において one-click と言っていたら、違和感が強いでしょう(当時もキーボードで全部やる人はいましたが、ここではクリックしない調べ物がより一般ユーザに浸透したと考えます)。しかしこのビジョンの変更について、one-clickだと言っていたじゃないか!と怒るような人は投資家にもいないんじゃないかと思うんですよね*1。クリックが主要なインタラクションではなくなる未来を読めなかったことや、20年使えるビジョンを提示できなかったことは問題ではないわけです。
結局重要なのはビジョンを出して実行することを通じて、従業員や顧客、市場といったものを動かしていくことです。one-clickという言葉を通じて強いシンプルさへのこだわりだとかユーザインタフェースの削ぎ落としだとか、そういったものの重要性を強く示して世界に働きかけることが重要だったわけです。だから今までの自分が「one-clickでできると思うけど、万が一できなかったらどうしよう」みたいな心配をして苦手意識を持っていたのはちょっとズレていたなと思います。
根拠のない自信の効用
自分が打ち立てたビジョンを信じられるのは、決して楽観的だからではないと思っています。まぁそういう人もいるでしょうが、どちらかというとまぁなんとかできるやろ的な根拠のない自信が多いんじゃないかと思うんですよね。そして根拠のない自信を持つことはシニアエンジニア、というか人を巻き込んで動いていく開発者には結構大事なんだなと思います。
根拠のない自信というと深く考えないことや痛みを気にしないことのような「鈍感力」のイメージもあると思いますが、自分が今回考えているのは「全く同じじゃないけど、似たようなことは経験してきた」「失敗しそうなポイントをざっと洗って、あらかじめ対処を考えられた」という、確実ではないけど一定の工夫はした、でも根拠と言うには薄くないか?みたいなそういうやつです。経験者の肌感とか、職人の感覚とか、そういうやつです。テスト駆動開発がすべてのバグを防ぐわけじゃないけど、前に進む自信をくれるのと似ているでしょうか。
一応テクニックとして「失敗してもダメージを許容できるようにする」、つまり撤退条件をあらかじめ定めるなどのコンティンジェンシープランの検討は使えます。使えるし、使うんですが、コンティンジェンシープランは次善の策であって本丸の確度を上げるものではないので、自分で打ち立てたビジョンを頭から信じる根拠にはならないと思うんですよね。のでテクニックとしてつくるコンティンジェンシープランの向こう側に、マインドとしての「まぁなんとかできるやろ」的な根拠のない自信は一定必要になるはずです。そして「根拠がない」ことを気にしすぎないでまず一歩踏み出すことが必要なんだと思います。
生存バイアスを作ればいいんだよ、というアドバイスをしないために
この根拠のない自信は理詰めでは身につきません。ではどうするのか?一番シンプルな答えは「とりあえずやってみて、転んだらそこから学べばいい」というものです。確かにこれは短期的には有効で、コードを書いて壊して直して覚えるような開発者の学び方とも相性がいい。
ただ、この考え方には落とし穴があります。生き残った人だけが「転んで学んだ」と語れるのであって、再起不能になるケースも多いのです。これがいわゆる生存バイアスというやつですが、ビジネスや組織運営では持続可能な方法が求められることから、「千尋の谷に突き落とす」ようなコミュニケーションは避けるべきです。
だからこそ大事なのは、「安全に転べる環境を用意する」ことです。歴史から学ぶのが理想ですが、それが難しいときには上司や仲間とのコミュニケーションでセーフティネットを作る。例えば「まず1週間自由にやってみて、うまくいかなければこのプランに切り替える」といった撤退条件を決める。「失敗したら一緒に謝りに行こう」と保証する。そうすることで挑戦のリスクを許容でき、持続可能に第一歩を踏み出せるのだと思います。
こうしたセーフティネットと合わせてもうひとつ大切なのが、周囲からのフィードバックによる“外付けの自信”です。根拠のない自信を持たない部下は、新しい一歩を踏み出しにくい状況にあるかもしれません。その場合は「君ならできると思うよ、だってあのときもああやって解決できたじゃん」などと、普段見ているからこそできるフィードバックを通じて背中を押しましょう。
根拠のない自信が自分で作れないなら、まぁアイツが言ってたからやってみるか……という外付けの自信を持たせてあげる。それで第一歩を踏み出せたらしめたものでしょう。
まとめ:リスクはゼロにできないから、根拠のない自信をうまく使う
リスクをゼロにすることは必要は多くの場合不可能ですし、不要です。企業経営のような難しい意思決定であっても、リスクをゼロにすることではなく行動を通じて課題解決を個人として組織として前に進めることが求められます。これは楽観的になってリスクを軽視しろという意味ではなく、自分ならなんとかできるだろうという根拠のない自信をうまく使うことが大切だという意味です。
もちろんリスクを管理するために、コンティンジェンシープランを定めたりダメージコントロールしたりすることは必要です。これらが自分でできない部下に対しては、上司としてこれを助けることが欠かせないでしょう。加えて根拠のない自信を外付けで持たせてあげることで、リスクを伴う挑戦に一歩踏み出せるように支援できると理想的だなと思いました。
*1:don't be evil の方は知らん