Kengo's blog

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両利きの経営を読んだ

両利きの経営(増補改訂版)―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓くを読みました。自分の15年間の社会人経験は探索と深化が半々という感じだったこともあり、マネジメントに加えて現場の人間の感覚でも楽しく読むことができました。

この本の結論はとても単純で、おそらくA4用紙1枚にまとまると思います。また言っていることには特に驚きはないので、うんそりゃそうだよねという感想で自分が流してしまいそうだなという直感がありました。ので自分の言葉でまとめて記憶の定着を狙おうと思います。

両利きの経営、できなくて誰が困るのか

両利きの経営ができないとビジネスが先細ってやがて食えなくなる、それ自体は別に自然であり、悪いことでもないはずです。経営者としてはたまったものではないでしょうが、従業員は次の職場でまた深化を極めていくこともできるでしょう。

私が読み始めたころは自分がERPベンダ経験者ということもあり、潰れたらインフラと化したサービスが継続できなくなると考えて、現存する顧客に対しての責任から両利きの経営を目指そうという話だと思ったんですね。ただ「カネボウはとっとと繊維から撤退すればよかったのに」などの描写から、本書の問題意識はそうではなさそうです。あくまでも法人が存続することに主眼が置かれています。

株主に対する責任であるとか、従業員の雇用を守るであるとか、激動の時代に誰も探索しなかったらほとんどの企業が破綻してしまうなどの問題意識もありますが。この本を読んでなるほどと思ったのは、両利きの経営は「大企業の組織能力や資源、顧客基盤を持ったスタートアップ」という機会を生み出す経営手法だということです。時代のニーズに応えるべく生まれたスタートアップが応えられないまま潰れていくのはよくありますし、より体力のある大企業がイノベーションに挑戦することは、社会貢献の観点からも重要な経営手法でもあるのでしょう。

のでできないと困るというよりは、できることで大企業が新たな存在価値を生み出せる経営手法だという認識を持ちました。

組織がひとつの目標に向かって動く、ときの「組織」と「目標」の捉え方

この本では深化する人と探索する人との間に適度な距離感を持たせることの必要性が語られています。「適度な」というのは、近すぎても遠すぎてもだめだということです。近すぎると深化のためのベストプラクティスや運用の工夫が探索を殺してしまいますし、遠すぎると探索が必要な資源や支援を得ることができません。私の経験を振り返っても、こういう問題は確かにあると思いました。

この本の例ではハイアールの小微(シャオウェイ)のような独立企業やHPの準部門の例が紹介されていますが、一貫しているのはそれぞれの組織が独立した目標や運用を抱えている一方で、すべての組織に共通する価値観・文化があるという点でしょう。各々の組織で直近の目標ややっていることは違っていても、企業体としての存在意義が一緒なのでひとつのまとまりとして存続し協力しあうことができると理解しました。つまり存在意義を持つ企業体の中に、目標を持つ組織が入れ子になって存在している形です。組織の間には協力関係はあっても従属関係はなさそうです。

これを普通に運用すると、組織を束ねる上級幹部はとても仕事がしにくいと思いました。なぜなら:

  • 自分のところの工数や資源を他の「組織」に貸す必要があるが、そのリターンが見えないことが多い(自分の成果を犠牲にしてほか組織の成果に賭けることを意味する)
  • 特に深化の組織は持ち出しが多く、顧客や市場からのプレッシャーと板挟みになることが容易に想像できる
  • 深化の組織ではその部下から「探索の組織が自由気ままにやっているが自分は規律のもとに数字を追いかけている」という不満が出てきそう
  • 探索の組織でも同様に、安定した深化の組織を横目に「売上が上がらない、結果が出ない」ことに対するプレッシャーと向き合わなければならない

この本で出している解決策は「上級幹部の評価を自部門の成績で行わない」こと、すなわち企業体としての成績を持って評価することなのですが。責任を負うものと評価対象がねじれていて本当に機能するのか(他部門の悪状況に引っ張られている場合に上級幹部が転職を検討しそう)とか、じゃぁその下の管理層はどう評価するのか?とか考えると、やはり一筋縄では行かないですよね。上級幹部の下に深化と探索の両部門を置いて上級幹部の裁量でよしなにやってくれ、ということにする誘惑はけっこうありそうですが、それでは失敗するというのが第8章のハヴァスの事例から明らかなので、企業体として向き合わなければなりません。

考えられる最善は、上級幹部が人事評価の裁量を持ったうえで、他の組織に資源を貸し出したことを前提に本業の成績を持って部下を評価する……というものでしょうか。不満や不安も上級幹部が粘り強いコミュニケーションで自組織内で解消させる必要があります。これも言うのは簡単だがというやつで、上級幹部に人徳や公平性,タフネスといった超人性を求める運用になりそうです。

まとめると、この本では「組織を入れ子構造にすることで、存在意義や組織能力などの共有を実現しつつ運用や目標は分けると」いう矛盾を管理可能な形に落とすことを推奨しています。 この矛盾を維持するにはCEOや上級幹部の献身が欠かせません。特に組織(我々)という主語がコンテキストによって変わるであろうことを考えると、上級幹部にかかる部下への説明責任は非常に大きいものと感じました。マイシスの事例の「我々は800万ドル削減する必要がある、ただし探索組織の予算には手を付けない」が象徴的で、都合のいいときだけ一心同体だと言いやがってみたいな反応は普通に出てきそうだなと思います。この問題こそが両利きの経営が難しい理由であり、優秀なトップひとりではなく上級幹部を巻き込んで組織を作っていく必要性を強く裏付けるものだと思いました。

上級幹部ではない従業員として何ができるのか

やっぱり気になるのはここなんですが、直属の上級幹部ときちんと話をして両利きの経営を意識してもらう、くらいしかできることがない気がします。トップが変わったときに探索部隊をどうするか、深化と探索のバランスを考える人なのかを見る上ではこの本が紹介する知識や事例は役に立つと思いますが、その結果探索を縮小・停止する人だなと判明したときに、それを覆すのはほぼ無理ですよね。その人が入った時点で既定路線のはずなので。

ので自分が深化を極めたいのか、探索で結果を出したいのか、両利きの経営を実践するリーダーとして伸びていきたいのかを日頃から考えておいて、深化や探索のバランスが変わったらそのシグナルを早期にキャッチして動いていく、しかない気がします。

あとは深化と探索は異なるものでそもそも相容れないのだ、ということを頭に入れておくとコミュニケーションがやりやすい局面はありそうですね。多様性多様性と言われますが、何がどう多様でコミュニケーション上の要配慮点はどこかを知っておくだけでも助かることは多いので。深化は厳しいんだ、探索は心細いんだ、ということをざっくり踏まえておくだけでも、同僚の仕事を知って尊敬する機会はすごく増えると思います。