Kengo's blog

Technical articles about original projects, JVM, Static Analysis and TypeScript.

プログラマのフルリモートワークにダジャレが向いている理由とその功罪

株式会社ヘンリーでSREなどをやっている id:eller です。 この記事は株式会社ヘンリーAdvent Calendar 2023の4日めの記事です。一昨日の記事はkobayangさんのアラートを早く上げる・早く拾うでした。

さて、以下は筆者の日頃の業務を切り取った図です。みなさんはこちらを見て、どのように思われますでしょうか?

図1 ひろく協力を呼びかける図
図2 社内規定の浸透を試みる図
図3 新入社員の皆様に対して規定の確認をリマインドする図

なんだコイツ偉そうだなとか、真面目そうとか、厳しそうとか、そういう印象をお持ちの方が多いのではないでしょうか。実際は柔らかく優しい人格かもしれないし、いつもニコニコして話しやすい人かもしれないし、背後で体調悪くて学校を休んだはずの小学生が飛び跳ねてるかもしれないですが、そういう個性や雰囲気はチャットに頼りがちなフルリモートではなかなか伝える機会がないものです。

書かなければ伝わらないが、書いてるものは個人のイチ側面しか反映していない

本日お伝えしたい最大のトピックは「フルリモートワーク環境においては、書かなければ伝わらない」です。大切なのでもう1回くらい書いておきましょう、人間「書かなければ伝わらない」のです。そしてそれは「書いたものから伝わっていく」ことと同義です。

私の今のロールはSREやセキュリティで、社内規定策定とか認証取得とか開発手順策定とかのウェイトが大きく、どうしても依頼・強制に関する書き物が増えます。これが続くと「社内の自由を狩り尽くし、総てをコントロール下におきたい管理者」像が確立される可能性すら否定できません。そしてセキュリティは従業員の日頃の意識や協力体制に強く立脚するもので、この像は目標達成の障害にはなれど強みにはならないと言えるでしょう。

他の側面を露出することがフルリモートワークを円滑に進めるためには重要

そしてこの実体と印象の乖離問題はほかのエンジニアにも常につきまとう問題だと感じています。例えばプログラマにつきものの「PRレビューを個人攻撃として受けとられてしまう」問題も、PRレビューの内容やその言葉遣いから受ける印象をその筆者そのもののイメージと混同してしまうことに起因します。PRレビューで使う言葉を優しく簡潔なものにしたとしても、この問題は完全に解決することにはなりません。PRレビュー以外のコミュニケーションを増やしてその人の他の側面に光を当てることで、はじめて解決されます。

ちょっと前に弱みを見せることが重要なコミュニケーションであるという議論が活発になされていたように思います。それと同じで、仕事を円滑に回してお客様に価値を届けるためには、ドライなプロフェッショナリズムだけではない人間としてのウェットなコミュニケーションも重要ということですね。

cybozushiki.cybozu.co.jp

この問題の解決としてよく知られているのは分報でしょうか。またSlackではソーシャルチャンネルという、仕事に関係のない話をする場を設けることも提案しているようです。業務だけの関係では見せられない側面を開示する機会を作ることが色々と模索されている時代だと言えるでしょう。

プログラマという言葉のプロフェッショナルにはダジャレが適している

さて前置きが長くなりました。いよいよ本題であるダジャレについて触れていきましょう。

私のようなプログラマという生物は、常に言葉に対する高いアンテナを張っています。一見同じような言葉、例えば「作る」「創る」「造る」「つくる」のうちどれが最も文章に当てはまるものなのかと悩んだり、いやこの行為は何かを作るのではなく別世界から召喚しているのでは、あるいは既に存在するものを空間に投影しているだけなのでは、そもそもこれを作っている人はなぜそれを作っているのだろうか……などと際限なく考えることを生業としています。

そんなはずはと思われた方、隣のプログラマを捕まえてみて「名付けに悩んだことある?」と聞いてみてください。まず間違いなく、ほろ苦い体験をひとつやふたつ持っているはずです。

プログラマとは作家のようだ、と思われた方は本質をついています。プログラムとは人間にもコンピュータにも読んで理解できる文章であることが求められるため、プログラムとは文芸であると言っても過言ではないのです。よって良いプログラマは良い作家のように、語彙や類義語や対義語といった表現のストックが増えていき、言葉に対する「深み」が自然と醸成されます。

それと同時に物事をシンプルに伝えるための比喩・抽象・近似という道具も扱うようになり、全く異なるものから似た概念を見出すことすらできるようになるのです。画面の中のナニカに対してプログラマが「生きてる」「死んでる」などと表現するのは、非生物に対して生物的な特徴(ライフサイクル)を見出しているからにほかなりません。そしてプログラマが非生物の中に生物らしさを見出すにとどまらず、生物らしさを生み出しうる存在であることは、以下に挙げる著作や最近の生成AIのトレンドを見ても明らかでしょう。

techbookfest.org honeshabri.hatenablog.com

そして言葉に対する深みと抽象を扱う能力、これら2つが融合する総合芸術こそがダジャレなのです。ダジャレこそがフルリモートワークにおいて自らの側面を見せ、業務上関係の薄い人へもアプローチでき、プログラマにとっては主たる能力と関心を発揮する類まれなるソリューションであることは疑いの余地がありません。

いやいやそんなまさか、とお考えの方、無理もありません。しかし例えば以下の投稿で紹介したGoogleの事例は、7年前から今日というこの日まで認められ、親しまれ、愛されてきているわけです。業界をリードする企業がメンテナンスする著名OSSプロダクトでこれなのです。フルリモートワークにおいてもプログラマにとって有効なソリューションとなるであろうことは疑いの余地はありません。

最後にもうひとつ実例として、私の事例とその効果を見てみましょう:

図4 大型会場で登壇する同僚を励ます図
図5 真面目な話の腰を折ってしまったかもしれない図
図6 モラル以前の何かが足りない図
図7 たまには笑ってもらえる図

こんな自由奔放なやつが「社内の自由を狩り尽くし、総てをコントロール下におきたい」人のはずがない、ということは容易に伝わるかと思います。むしろ自由さを今後も維持できるのか、と心配されています。

図8 CEOに心配される図

いいですね。なんか他のことを気にしたほうがいいような気もしますが、当初に挙げた懸念は払拭されたのでヨシということにしましょう。

まとめ

フルリモートワークでは書いたことだけが相手に伝わります。依頼・強制に関する書き物が多い立ち位置にいるプログラマは、その能力を活かしてダジャレを投稿することで自由を束縛する機械的なヤツであるという印象を打ち破ることができます。ウェットなコミュニケーションのきっかけにもなりますし、同僚を勇気づける・クスッとさせることもできますし、一石三鳥です。あなたもぜひ。

株式会社ヘンリーAdvent Calendar 2023、明日はgiiitaさんの「全ての台所へ贈る浸透圧」を予定しています。お楽しみに〜。

補足